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2008年02月 アーカイブ

2008年02月07日

引揚者とは…

意外と知らない真実。
このようなことが起こっていたようです。

引揚者(ひきあげしゃ)とは戦前や戦中に台湾・朝鮮半島・南洋諸島などの外地や日本から多数の入植者を送っていた満州(法律上は外国)、そして内地ながらソ連侵攻によって実効支配権を失った樺太などに移住(居住)していた日本人で、敗戦に伴い日本本土に還った者を指す。

一般的に「引揚者」の呼称は非戦闘員に対してのみ用いられ、日本軍の軍人として外地・外国に出征し、その後帰還した者に対しては用いない(これらの者は「復員兵」もしくは「復員者」などと呼ばれた)。

GHQ/SCAPのダグラス・マッカーサー総司令官は人道的立場から引き揚げを早期に終了させるつもりでおり、実際に東南アジア、台湾、中国、朝鮮半島の北緯38度線以南などからの引き揚げは比較的スムーズであり、1946年には9割以上達成された。しかし、満州や朝鮮半島の北緯38度線以北などソ連軍占領下の地域では引き揚げが遅れ、1947年になってようやく完了した。

この遅れはソ連が占領下の日本人をシベリア建設に利用しようとしていたいうこと、また満州地区が国共内戦で政情不安定だったということなどが影響したと見られている。実際、関東軍70万人のうち、66万人はシベリアに抑留され、強制労働に従事させられることになる。またソ連兵は規律が緩く、多数の占領地で強姦・殺傷・略奪を繰り返したため、戦後の日本において対ソ感情を悪化させる一因となった。

とりわけ満州においては混乱の中帰国の途に着いた開拓者らの旅路は険しく困難を極め、食糧事情や衛生面から帰国に到らなかった者や祖国の土を踏むことなく力尽きた者も少なくない。また戦後60年を超えた現在に至っても、中国大陸で親子生き別れ・死に別れとなった中国残留日本人孤児などの問題を残している。また、満州国政府には多くの台湾人が官吏として採用されていたため(新京市長は台湾人である)彼らの台湾引き揚げも問題となったが、そのことは日本では殆ど語られていない。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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